「ほのぼの見守りエピソード」 (7月分)

「シンプルライフ」

 木造賃貸アパートのワンルーム10畳の部屋に、35年間入居したご夫婦のお話です。
 50代で入居、ご主人は臨時雇用で、生活は苦しそうでした。大家として、毛布や日用品を援助しました。夫婦喧嘩を仲裁したこともありました。夫婦は「シンプルライフ」の見本で、なべ2つ、茶碗2つ、おわん2つ、皿2枚、湯飲み2つで不満もなく生活していて感心しました。
 60代でご主人が失業、内職にて生計を立てておられました。生活苦を見守り、体調の悪い時は手持ちの薬を渡すなど、物心両面の援助をしました。貧しくとも明るくにこやかに過ごしているのが印象的でした。
 70代で生活困窮に陥り、病気がちになりました。福祉の世話になりたくないと頑固に拒否されましたが、見かねて説得し、区役所福祉課へ導き生活保護を申請・受理されました。文字の読み書きは不得意でした。
 その後、ご主人がガンにかかり、入退院の手続きの代行、付き添いのための送迎をしました。また、この頃から、給付金の受け取り代行、家計のやりくり指導、現金預かり、家計簿付けなどを頼まれるようになりました。奥さんの自宅介護は献身的で実に立派でした。よく尽くされていました。その後、奥さんも体が弱くなり、毎日様子を見守りました。奥さんの体調には、大家として大層心を配り、感謝もされました。
 ご主人は80歳を過ぎで亡くなり、葬儀の段取りや送り出しを行いました。ご夫婦の息子さんと娘さん家族は、全員正装にて見送られました。息子さんと娘さんは、ご夫婦とは血縁関係がない方でした。ご夫婦は、若い頃に、恵まれない幼児を我が子のように育てた夫婦だったのです。保証人となった息子さんは、子供3人の5人家族、交通遺児だった娘さんは、子ども2人の4人家族となりました。両家族とも、時々ご両親の様子を見に来ていました。肉親にも勝る温かい思いやりに触れて、大層嬉しく思ったものです。
 その後、残された80代の奥さんも認知症の疑いが生じ、説得して、養護老人ホームへ転居してもらいました。住み慣れた家を離れがたく、相当に強く抵抗されて、説得に時間がかかりました。私も養護院へは3回立ち寄り、顔を合わせましたが、意外にしっかりしていて、嬉しそうにされました。帰り際、「逢いたくなったら、また来いよ」と声をかけられたものです。
 大家業と洋品店経営に忙しい中、苦労もありましたが、入居者のために力添えできた満足感を味わえました。ご夫婦の人柄もとても良く、飾らない性格、健気な様子に、ほっと安堵したものです。屈託のない人達でした。
 大家として、自然体に見守り、自ら癒されました。そして、人として、色々なことを学ぶ機会となり、感謝している昨今です。

(中村区 Hさん)

「命の恩人」

 50代の男性。
 体調を崩して失職し、サラ金の請求書が数社から送られ、自室にいられなくなり、逃げ回り、飲まず食わずになり、「遺書」を書いて出かける準備をしているところを保護しました。
 区の福祉課に相談し、借金は裁判にて減額、生活保護を受けながら病気の養生をされています。
 今も、時折出会いますが、命の恩人として、感謝してくれているようです。

(中村区 Hさん)

「マッチ箱」

 建設関係の会社に長年勤めていたのですが、腰を痛めて働けなくなり、サラ金に走り、請求に耐えかねて、荷物を残したまま逃亡した人がいました。
 保証人のご両親(75~85歳位)と共に、夜の街を、マッチ箱を頼りに一緒に探しました。農業を営むご両親が、軽トラックで栄の歓楽街に立って毎晩息子を捜す姿は誠に辛いものでした。
 結局、息子さんは見つけられませんでした。荷物は引き取ってもらいましたが、ご両親の淋しい表情が忘れられません。
 苦い経験でした。

(中村区 Hさん)

「また会いに来てね」

 母子家庭の入居者で、子どもは中1と小3の女の子でした。
 ある日、母親が突然家出をし、子供は残されてしまいました。役所と相談して、別れた父親を捜したところ、北海道で見つかりました。しかし、子どもたちは、学年が変わるまで北海道に行きたくないと言います。そこで、しばらくの間、子どもたちをアパートの住人と家主で見守り、送り出しました。
 卒業したら、また会いに来てくれるそうです。

(Aさん)

「職人さん」

 仕事がなくなって、家賃を滞納し、大家の私にお金を借りに来るようになった時は「2日も何も食べていない」とのことでした。おにぎりとおかずを少々あげました。
 そんなことが2回ほど有った後、職安へ行って仕事を探すようになりました。
 以前は工事関係の仕事をしていた人だったので、我が家の倉庫の屋根の修理をしてもらい、その工賃を支払い、少しでも助けになるよう協力しました。

(中村区 Mさん)

「リフォームの際に」

 建物塗装リフォームの時に玄関のオートロック化と照明設備を設置しました。
安全と美観の向上が入居者に好評です。

(豊田市 Tさん)

「見守られています」

 私が空室のメンテナンスに行って鍵を付けっぱなしで忘れた時、隣の入居者さんが電話をくれて鍵を預かってくれました。それ以外でも、電灯切れなんかも教えてくれます。
 入居中も戸車の交換など、お部屋に入らせてもらっています。入居者さんの子供たちとも仲良しです。

(天白区 Nさん)

「単身女性の入居者を見守っています」

【エピソード1】
 体調不良により緊急入院される事となり、入院期間中のゴミ出し、郵便物の不要物の整理など依頼され、快く引き受けました。
 その後、退院され、帰宅時には感謝されました。

【エピソード2】
 6年ほど前、「羽毛布団の押し売りに困っている」と連絡を受けました。「絶対にドアを開けないこと」「きっぱりと断ること」などアドバイスして、直ぐに部屋に向かいました。押し売り業者は立ち去るところでした。入居者はとても恐かったということで、大変安心された様子でした。  どちらも、同じ建物に家主が住んでいるからこそできたことでしょう。
(熱田区 Mさん)

「七夕かざり」

 七夕の時期に、笹や短冊をエントランスに用意して、親や子どもを楽しませています。
(Bさん)

「心強い助っ人」

 私が依頼しているリフォーム、修理、ハウスクリーニングなど、入退去の際お願いしている業者の方は、用事で行った際に、他の雑用すべてついでにやってくださいます。
 高齢者の方や単身男性からの雑用の依頼や、話し相手にもなっています。
「この人が来れば日頃出来ない修理もみんなやってくれる」と好評です。
 このようにトータルに気を配ってくださる方が、自分の他にもうひとりいると助かります。
(豊田市 Cさん)

「あらぬ疑い」

 ある高齢の方が、入居数ヶ月後に、風呂場で亡くなりました。
 家主の私は、何回も顔を出していました。入居者の家族は、はじめは顔を出していましたが、しばらくして顔を出さなくなりました。ある日、家主が異変を感じ、警察を呼んで中に入ったら、亡くなっていたのです。
 ところがその後、家族が「部屋にあったものがなくなっている」と疑い出しました。困りましたが、警察の方は「気にするな」と言ってくれました。逆恨みで、インターネットに「亡くなって○日間放置していました。どろぼう」などと書かれてしまいました。相手にしませんでしたら、そのうちその書き込みは無くなりました。

(Cさん)

「85歳」

 自分の利益ばかり考えず、少しは先方さんの身になって話し合うようにしたいです。
(中村区 Iさん)

《事務局より》
Iさんは、御年85歳。いつも、入居者の方の幸せを考えておられる方です。
実るほど頭を垂れる稲穂かな。見習いたいです。

「歴史あり」

 何も取り柄がございませんが、古いだけです。
  昭和31年1月、三河の山村より名古屋へ来まして、不動産屋へ訪問して、坪1万500円にて70坪の土地を買い求め、木造2階建て、4畳半の部屋を12部屋、名古屋大学や愛知学院大学の学生さんに1部屋2500円にて賃貸業を始めまして、私は会社に勤務しました。当時は、大学卒にて給料1万円にならない時代でした。
  現在は、平成元年、鉄筋3階建て100坪新築してがんばっています。

(千種区 Oさん)

《事務局より》
Oさんは、御年82歳。とても優しい大家さんです。     
アパート業の歴史を知る方ですね。これからも、益々お元気で。

「大家さん、頼むよ」

 入居の方々の声として、「最後は、大家さん、頼むよ!」
 しかし過去には大変な事件もあり、実質経費もバカにならず、共に考えたいところです。

(豊橋市 Fさん)

《事務局より》
是非、ご一緒に考えましょう。
ベテラン大家さんとお見受けしました。色々とご指導ください。